第10話・前編

 自分が淫魔と吸血鬼のハーフだと知ったあの日から、俺の人生は目まぐるしく変わるだろうという予感は当然あった。だが……ここまで、怒濤という言葉しか当てはまるものがないような、そんな人生になるとは思いもしなかった。
 「悪」限定、という制約を受けることで吸血鬼と淫魔の力を底上げしている俺は、鬼神イフリータの魔具職人兼商人である師匠フレアから「依頼」という形式をもって「悪党狩り」を行っている。悪党狩りとはそのままズバリ悪党を狩ることなのだが、ただ抹殺するだけではなく彼らの持つあらゆる物を「根こそぎ」……金品は当然血も精力も奪い去る。その過程で気に入った女は眷属にして、俺様のハーレムを形成し楽しんでいたのだが……なにがどう転がったのか、俺は今国を破滅へ導こうとするブラックガードから金色の7番街を救おうと動き回っている。ま、当然正義だの義務だのそんなものに突き動かされているわけではなく、そのブラックガードであるミネルバが俺様の好みだというだけの話だったんだが……事はどんどん大きくなっている。
 まず「金色の7番街で何かを企んでいる」という情報しか無い状態から始まった俺達は、その街へ出向き活動する名目のためにエリスを通じ社交パーティを行うというベイリンチ卿を頼った。そのパーティは同街の闘技場で行われる武闘大会を見学に来る貴族や商人達を歓迎する物で、当初予定はしていなかったがカサンドラがその武闘大会に出ると言いだし渋々それを許すことになる。だがそもそもベイリンチ卿のパーティ自体がミネルバの罠だった。
 ベイリンチ卿は邪神ローエの信者で、教団を通じミネルバと繋がりを持っていた。そしてカサンドラを何故か執拗に狙うミネルバの命令なのか、ベイリンチ卿は格闘大会における「賭」の対象としてカサンドラの身柄を請求。いいように大会をコントロールできるベイリンチによってカサンドラはかなり不利な状況で大会に挑まされるが、見事に全てはねのけ優勝した。これによりベイリンチが賭ていた闘技場の所有権の一部と奴が持っていた奴隷戦士全員の権利を全て手に入れることとなったが、その代わり奴はとんでもない挑戦者を用意しカサンドラと闘わせると一方的に宣言してきた。
 その相手こそ……かつてはイーリスの四聖将の一人に数えられ、「慈悲深き老将」の名で親しまれていたパラディン、ラウルス。戦死したはずの老将が蘇り、同じイーリスの四聖将であったミネルバの手先となってカサンドラの前に立ち塞がる。
 ここからは俺達の憶測になるが……どうもラウルスはなんらかのアンデッドモンスターとして強引に墓場から掘り起こされ、その上で俺の眷属となったエマと同じように「疑似インスパイアド」にして洗脳。同時に疑似インスパイアドの持つ「サイキック」という異能の力で姿をごまかしているのではないか……この憶測が正しければ、ラウルスはとんでもない強敵になる。カサンドラ一人で太刀打ちできる相手なのか……。
 問題はそれだけではない。そもそも、まだミネルバの尻尾すらつかめていない状態なのだ。「破滅」を望む彼女と彼女に力を貸す悪魔ゲルガーが、カサンドラを得るためだけにこんな大がかりで回りくどい方法を取るだろうか? 何か裏があるのは間違いないが……それが何なのか、見当もつかない。ただ「兵隊」を集めていたのは間違いなく、大がかりな何かを仕掛けるのは確かだと思うんだが……現在、エマ率いる盗賊ギルドにミネルバのことを探らせているが、有力な情報はまだ上がってこない。
 とはいえ、手をこまねいてばかりもいられない。俺は何か大事が起きたときに供え、闘技場にいる奴隷戦士達を眷属達に「魅了」させ、こちらの手駒として投入できるよう下準備を整えさせた。以前赤の13番街で街を救ったやり口と同じようなものだが、今回のは規模がかなり大きい。大きい上に……色々と「はめ」が外れていた。
「だからやりすぎるなと言っただろうに……」
 闘技場に入って俺はすぐに気付いた。カサンドラを始め俺の眷属達が奴隷戦士を魅了「しすぎた」という状況に。淫魔の愛液から漂う催淫効果のある「淫魔香」が、闘技場の中に蔓延していたから……。
 闘技場には奴隷戦士の他に給仕や看守など様々な人が働いている。魅了する相手はあくまで戦える奴隷戦士だけで、闘技場にいる全員が対象ではないのに……まあ元々、昼間もリーネ達は奴隷戦士を魅了する「下地」を作っておけと指示をしたら、なにやら色々とやりすぎていたようだったし……こうなることは予測できていたんだけどな。
「カサンドラ達、随分派手にやったようですね」
 闘技場の中を見渡しながら、アヤが苦笑混じりに呟いた。そこかしこで裸のまま気を失っている給仕や奴隷戦士が転がっている光景は、確かにもう笑うしかないよな。
「後始末どうすんだよ……」
 溜息をつきながら、俺は途方に暮れた。ホント、どうやって収拾付けようこの状況……。

 不幸中の幸い……という言葉は微妙に的を外しているような気もするが、この騒ぎの中でもカサンドラ達は本当のボーダーライン……精力や血を吸い尽くすような事だけはしなかったのは良かった。激しい乱交の中でも理性を失わなかったのは、彼女達が俺の眷属という「中途半端」な存在だからなのか、それとも逆に力を付けてきたから理性を失うことがなかったのか……なんにしても、規模こそ大きくなりすぎたが目的は充分すぎるほど果たした。闘技場の中に紛れていた幾人かのローエ信者ですら、心はもう全てカサンドラ達に捧げていた。
 だからこそ、「後始末」は思っていた以上に簡単だった。
「フィーネお姉様、こちら全て片付きました」
「姉御! こっちはもう全部大丈夫でさぁ!」
「セイラ様、悪しきローエ教団からの脱却を全員確認いたしました。これからはセイラ様の教えに従う所存にございます」
 そう、結局全員を魅了してしまったのだから、その全員に「後始末」をさせれば良い。それだけのことだった。全員を魅了……つまり全員が身内同然なのだから、誰かを口封じしなければならないとかそういう面倒な「後始末」は無くなったし、それに誰かに見つからないようコソコソ隠れる必要もない。魅了した場内関係者総出で大胆に行動を起こさせられるから、中途半端に下地のみですませるよりかなり楽だ。やるべき事は魅了した彼らに有事の際駆けつけられるよう待機させることと、乱痴気騒ぎで汚れた場内の清掃くらいなものだから、眷属達が簡単な指示を出すだけであっと言う間に終えてしまえる。
 にしても見事に魅了されているな……戸惑いが微塵も感じられないよ。まあ今魅了されている者達はほぼ全員が下層身分の者達……奴隷という立場にいる者達だから、誰かに付き従うという事に良くも悪くも慣れているんだろうな。しかも眷属達は無慈悲な鞭を振るわず快楽という飴だけを与えていたのだから、そりゃ尻尾もブンブン振るってもんか。ふむ……これで闘技場の中はほぼ完全にこちらの手中、支配したも同然という状態だ。盗賊ギルドに続いて、俺は大きな組織をいつの間にか手に入れてしまったようだな。
 正直に言おう。俺はこんな事まで想定も予測も出来ていなかった。ただ本当に、戦力の確保しか考えていなかったんだ。こんな大胆な結果を生み出すなんて思いもしなかったんだよ。けれど……ここまでをしっかり計算していたのが一人いた。
「事後報告となったことをお許し下さい。私はレイリー様にとって最適な判断だと信じ采配を振るいましたが、確認を取らず勝手に行ったことに代わりはございません。申し訳ありませんでした」
 眷属の中で最も切れる女、美麗毒婦のエリスだ。彼女にしてもここまで「やれる」とは思っていなかったらしいが、淫魔香の力が思っていたよりも強力になっていて、場内に蔓延する速度が速かった事から直ぐさまこの状況を予測し「やり過ぎ」を自重しない方向に切り替えさせたらしい。また彼女は口にしていないが、俺に連絡を入れなかったのは俺がセリーナ達と真っ最中なのを知っていたから、邪魔しないようにと配慮したのだろう。ま、俺以上の判断力を持つ彼女だから俺は彼女に絶対の信頼を寄せているし特に咎めるつもりはないんだが……
「勝手にこんな状況にした責任は取って貰うぞ、エリス。後でたっぷりと「お仕置き」をしてやらねばな」
 俺の言葉に頬を緩ませ笑顔になる参謀。膝を着き頭を垂れている彼女を軽く撫でてやりながら、キビキビと動き回る闘技場の者達を眺める。
 支配したとは言っても、盗賊ギルドとは違い一時的なものだ。彼らに行ったのは魅了であり洗脳ではないから、時間が経てば何時かは解ける。だが少なくとも今日一日は持つだろう。必要があれば必要となる時まで毎夜魅了を重ねても良い。ミネルバが何かを仕掛けてくるその時に充分な働きをしてくれるならそれで良い。ミネルバとの一件が終わった後までこの闘技場を支配し続ける必要もないしな。
「さてこうなると……作戦を練り直す必要があるかな」
 この闘技場占拠で重要なのは、ベイリンチ卿の支配を完全に断ち切れた事にある。卿だけでなく、大会への介入は誰の手も入れさせることはない。邪魔が無くなるだけでもカサンドラにとって優位になるだろうし、場合によっては逆にラウルスを邪魔しても良い。大会をコントロールするのがこちら側になったのは大きな事だ。まあ問題があるとすれば……
「誰かの目を気にすることなく大胆な作戦を立てられそうなんだが……しかし何かしようにも何をすべきかな……」
 何をすべきか思いつけない。邪魔が無くなるというだけでもありがたいことではあるが、カサンドラへの脅威が軽減されたかと言えば……難しいな。
「対戦相手のラウルスもそうですが、まだミネルバの動向が見えませんから……何かを仕掛けるよりは、仕掛けられる何かに供えるべきかと」
 エリスが起ち上がりながら俺に提言する。彼女の言い分はもっともだな……仕掛けるにしても情報が少なすぎる以上、防衛的にやれることを全てやる方が良いか。
「アヤ、お前から見て闘技場の防犯に「穴」はあるか?」
 暗殺者であったアヤなら、攻める側に立った意見があると思い彼女に意見を求めた。
「小さな穴ならばいくつも……そもそもこの闘技場は物理的な構造はともかく内部的には「穴」があった方が都合良かったはずですから」
「なるほどな……」
 内部、つまり闘技場を管轄している者達にしてみれば、賄賂などで風通しを良くして自分達の都合良いように大会を動かせるようにしていただろうからな。何らかの妨害工作を仕掛けやすいように隠し通路等をあちこちに張り巡らせていてもおかしくない。
「ならそれらの「穴」を出来る限り塞ぐよう、セイラ達と協力してやってくれ」
「御意」
 内部事情に詳しい者達が今全員味方に付いている。じっくりと彼らの話を聞き出せば闘技場の全体像が見えるはずだ。そして見えた全貌を元にミネルバ達が付け入ろうとする隙間を埋めていければ防犯はより完璧になる。もっとも、ミネルバ達が侵入するつもりなのかも全く判らないが……やっておいて損はないだろう。
「エリス、ベイリンチ卿への対応は任せるぞ。ただ護衛役は俺ではなくセリーナにやってもらうが」
「お任せ下さい。セリーナさん、よろしくね」
「任せて。なぁ……あのハゲオークに会ったら一言言ってやりたい事があるんだけど、いいかな?」
 一言……ねぇ。俺はセリーナの言葉に思わず苦笑してしまう。彼女を眷属にしてから聞かされたのだが、卿は奴隷戦士という立場にいたセリーナを、それはそれはたいそう可愛がっていたらしい。苦痛と苦悩を快楽とするローエ信者なりに、な。ただセリーナもローエ信者だったし彼女はモンクだったから、理不尽な要求や苦痛も「修行の一環」として耐え、命令に従ってきたらしい。ところが今、ローエへの信仰を完全になくした事でこれまでに受けてきた理不尽な苦痛に対して急速に「怒り」が芽生え、ソレがセリーナの中で鬱憤として溜まっている。彼女はこの鬱憤を元凶であるベイリンチに全て返したいと闘技場に来るまで漏らしていたが……そんな彼女が「一言」で済むはずはないだろう?
「手は出すなよ、セリーナ」
「もちろん。ちょっと言うだけだよ、ちょっとね」
「まあよろしいのでは? 卿に皆様の前で恥を掻かせるのも一興でしょうから」
 そう言って笑うエリスの顔は、鞭と蝋を持ったときの笑顔によく似ている。そしてセリーナもまた似たような笑みを浮かべていた。教義は捨てても本質的な性格は変わらないようだな、セリーナも。
「自慢の奴隷戦士が内情を暴露……フフッ、卿が少し気の毒に思えてきました」
 嘘付け。心底楽しそうな顔しやがって……エリスも実はローエ信者だったりしてないかと疑いたくなるときがたまにある。
「エリス、セリーナの制御も含めて後は任せたぞ……ああそうだ。卿の対応もそうだが、今回のようにこれからもお前の独断で勝手に何かやらかしても構わないから」
「レイリー様の信頼を裏切ることはけしてありません。お任せを」
 エリスは俺のことを第一に考えてくれるはずだ。俺の眷属だから当然といえば当然だが……仮に、絶対にあり得ないことだが……仮に彼女が俺を裏切るとするなら、俺には彼女の行動を見抜けないだろう。それだけエリスは策略に関してよく切れる女だ。ならば絶対の信頼を持って全て彼女に任せてしまった方が良い。その方がお互い効率よく動けるはずだ。
「レイリー様も……カサンドラさんのこと、よろしくお願いします」
「判ってる……」
 深く頭を下げる二人を後に、俺はまだ慌ただしく人々が行き交う場内を歩いていった。向かうは控え室……カサンドの待つ場所へ。

 場内を占拠した今、カサンドラはもっとすごしやすい場所でくつろいでも良いはずなのだが、彼女はここに来た時あてがわれた控え室で待機していた。待機とは言ってもまだ鎧どころか服も身につけておらず、真っ裸のままなのだが。
「落ち着くんだよ、ここの方がさ」
 俺の疑問に、彼女はそう答えた。長いこと闘技場で闘ってきた彼女にしてみれば、その時培った習慣に従った方が安らぐのだろうか。
「だけどそうだね……レイリーが来るんなら、もっとまともな部屋が良かったかな」
 少し照れたように笑うカサンドラ。つい先刻まで乱交に興じていた淫魔とは思えないはにかみに、俺まで思わず照れてしまう。
「……やれることは今やっている。後はお前次第だが……俺としては、別にこの試合止めても良いんだぞ? エリスが受けるだろう世間的な批判だって、彼女は甘んじて受け入れるだろうし、なんなら全員でどこか人里離れた場所へ引きこもるのだって良いだろう。むしろその方が吸血鬼らしくも淫魔らしくもあるしな」
 そもそもこの試合だって、流れでこうなっただけであり、本来の目的であるミネルバ捕獲に直結しているようなことでもない。もう充分闘技場への探りは入れ、ミネルバが闘技場に兵隊を隠していない事は明確になった。これ以上カサンドラが闘う必要は無いと言って良い。だから無理に出る必要はないが……言って無駄なことは言う前から判っていた。
「意地ってのがあってね……ここで引けないよ。ミネルバには恥を掻かされてるし、四聖将を前に逃げたなんて言われるのも癪だからさ」
 戦士の顔に戻ったカサンドラが、決意の言葉を改めて吐き出す。流れにまんまと乗せられた事は悔しいが、そこから無理矢理降りる事は出来ない。それを意地の一言で済ませるにしては、カサンドラ中で渦巻く様々な感情を考えると無理があるかもしれない。
「判った……なら、俺も今できることをしてやろう」
 俺が今できること……それはカサンドラに力を与えてやること。心身共に、彼女の力になることといえば……一つしかない。
「ん……」
 何十何百と重ねてきた唇。それだけ重ねても飽きることはなく、むしろ重ねる度にこの優しい情熱をより長く感じたくなる。情熱は唇から全身へとその熱さを伝え、抱きしめる腕に力がこもる。
「レイリー……」
 カサンドラが俺を呼ぶ吐息も熱い。俺を見つめる視線もしかり。戦いに身を置くことで生き抜いてきた女戦士は戦場で血をたぎらせ感情を熱くさせていたが、今彼女を熱くしているのは愛情と欲情入り乱れた激情。俺を求める熱い魂が、唇を通して俺に伝えられていく。
 幾度も刃を交えた女戦士は今、舌を交え奮闘している。吐き出す息も愛おしく、舌ごと俺の口内を吸い込んだかと思えば、負けじと俺も彼女の熱気を唾液ごと貪る。抱きしめることで密着している俺達は、しかしそれでは物足りないと唇と舌を激しく何度も押し付け合いからませ合い、そして気持ちを密着させていく。
 まさに、俺達は今一つになっていた。
「ああ、レイリー……ん、チュ……ん、ぷはっ……ん、レイリー……」
 一度唇を放したカサンドラは、どろりと濁った、だが純粋な「欲」を瞳に携え俺を見つめる。そして再び顔を俺に近づけるが、向かう先は俺の顔ではなく、その僅かに下だった。
「レイリー?」
 カサンドラが望んだのではない。俺が彼女の頭を抑え俺の首筋に導いたのだ。
「出来ることをしてやると言ったろ……俺の血を吸い、精力を味わえ」
「なっ!?」
 欲情に染まった瞳に理性が戻る。驚き頭を上げ、カサンドラは見開き戸惑った瞳を俺へ向けている。
「今回の大会と後の準備を考えると……一番必要ないのは俺なんだよ。そして一番力を必要としているのはお前だ。なら俺からお前に「力」を分けてやるのが道理……いや言葉が違うな。効率? まあなんにしても、お前の力を底上げするためにも俺から血と精力を吸い取れ」
 これからラウルスと死闘を繰り広げるカサンドラには、今以上の力がどうしても必要だ。ならば俺の力……血の力と精力の力、そしてそこから生まれる魔力と身体能力をカサンドラに多く与えればすむ話だ。これが一番手っ取り早くしかも効率が良い「支援」になる。
 今回カサンドラが力を欲しているのは当然だが、この大会の後、あるいは最中にミネルバ達が何かを仕掛けてきたとしたら……眷属達全員の力が必要になる。エリスの知性と機転。セイラの癒しと戦略。アヤの瞬発力と瞬殺力。それからシーラの魔術やエマの統率力、ティティの機敏さだって必要だし、新たな戦力であるセリーナにも期待している。そして普段戦闘には参加しないフィーネやリーネ、アリス達には魅了した者達を扇動してもらう必要があり、その為に吸血鬼と淫魔の力は不可欠。そして俺は……何もすることがない。強いて言うなら眷属達への指示を出すことくらいだが、それに吸血鬼や淫魔の力は必要としない。だったら俺の力をカサンドラに分けてやった方が色々と都合が良くなるハズなんだ。
「ばっ、バカなことを言うな。レイリーは私達の主だぞ? そりゃ普段から力を分け合ってるけどさ、眷属の私に主が自分以上の力を付けさせてどうすんだよ」
 悪党狩りをした時などに血や精力を他者から吸い尽くした後、俺達はその血や精力を乱交によって分け合い、ほぼ均等に分配している。それでも眷属達よりも主である俺の方が血と精力を力に変換する能力が高いため、均等に分けても俺だけ眷属達より若干力を得られている。変換効率で言えば生粋の淫魔であるシーラの方が俺より上ではあるが、血を力に変換できない分俺の方が僅かに優位になっていた。だから主と眷属という関係のバランスは、力の配分でもそれなりにバランスが保たれている。眷属であるカサンドラが主の俺から力を得たら、そのバランスが崩れてしまう……それを彼女は懸念しているのだ。
「俺より力を身につけたら、お前は俺を裏切るのか?」
 眷属が主よりも力を付けない理由……それは「裏切り」にある。
 そもそも眷属は主の「力」によって従属心を植え付けられているため、眷属が主よりも力を得るとその従属という鎖は解かれることになる。だから常識的に考えれば、主が眷属よりも下回るように力を分け与えるなんて事はあり得ない。常識で言えば。
「……そんなわけ無いだろ。私の主はレイリーだけ……どんなことがあっても、私が愛する主はレイリーだけだ」
「なら何も問題ない……俺もお前を信じてる。愛しい眷属であるお前をな」
「レイリー……」
 俺達の絆は血と精の力による束縛だけじゃない。俺はそう信じているし、カサンドラもそうだろう。
 ふと……思い出す。俺の師匠フレアの夫であるダグさんが、何時だったか言っていたな……俺の力が中途半端なのは、むしろ幸運だと。あの時の言葉を、今なら充分すぎるほど理解できる。俺の力が中途半端だからこそ、俺と眷属達には血と精力だけではない絆が生まれた。ねじ伏せるような抑止力のないこの絆は、何よりも固く俺達を結びつけている。根本がいびつで歪んでいたとしても、俺達の絆は強固なのだと信じられる。
「生きて勝ち抜け、俺の為に。だから俺の力を持っていけ」
「……判ったよ。その代わり、私は改めて誓うよ、何度だって誓う……愛してる、レイリー。だから絶対に勝つ。レイリーが見てくれるだけじゃない。私の中にいてくれるんだ……負けるはずがない」
 欲情と愛情に彩られた瞳が、潤む。一つしかない瞳は、一つの真実を俺に語りかけていた。
 愛していると。
 吸血鬼であろうが淫魔であろうが、カサンドラの愛は清らかなものだ。欲情が俺達を結ぼうが、それだけが俺達の絆ではない。欲情と共にある愛情こそが俺達の真理。
 カサンドは再び俺に唇を重ね、軽く舌を絡ませる。そして唇はゆっくりと離れ、そして俺の首筋へと迫る。
「ぐっ!」
 思わず声が出てしまう……これが吸血「される」感覚なのか……首筋に鋭く刺さる激しい痛み。その直後に全身を襲う脱力感。貧血による軽いめまいが頭をふらつかせるが、気の遠くなるその感覚が妙な快感になっていく。強くカサンドラを抱きしめていた腕に力が入らない。ゆっくりと腕は解け、そしてだらりと垂れ下がる。足の力も抜けており、今俺はカサンドラに斜めになった身体を支えられている。
「ん、コク、チュ……ん、ぷはっ! ああ、ゴメン……ちょっと吸いすぎた?」
 急速に力が抜けた俺を心配そうに見つめながら、しかしその瞳はギラギラと輝いている。吸血したことによって欲情がかなり高まっているようだ。
「大丈夫だ……が、一気に吸いすぎだろ……」
「すまない……こんなに美味しい血は初めてで……すごいよコレ、熱くて……ダメ、爆発しそうだ」
 俺を抱き寄せながら、カサンドラは血塗られた唇をまた俺に重ねる。俺の血とカサンドラの唾液がビチャビチャと激しく音を立てている。
「レイリー、レイリー……ああ、レイリー、ん、チュ、ん、クチュ……」
 唇を離し俺の名を呼び、そしてまた重ねてくる。何度も何度もカサンドラはこれを繰り返しながら、少しずつ俺の身体を横たえ始めた。
「なあ、せめてベッドまで運んでくれよ……」
「ダメ、もう我慢できなくて……」
 床に寝かされた俺の頼みを断ると、カサンドラは俺の着ている服を強引に破き捨てる。何かコレ……普通男女逆じゃないか?
「レイリー……愛してる。フフッ、それに可愛い」
 可愛いとか突然言われて、血の気が足りないはずなのに俺の頬が熱くなるのを感じた。なんだかな……本当に逆の立場を今体験しているなコレ。
「レイリー……ん、チュ」
「くっ!」
 ふさがり始めている牙の痕に舌を這わされ、また思わず声を出してしまった。その事がとても恥ずかしく、まともにカサンドラを見られない。おそらくカサンドラは俺を見ながら笑っているに違いない。
 ひとしきり首筋を舐め傷口が完全にふさがったのを確認すると、カサンドラはそこから鎖骨、そして乳首へと舌をナメクジのように這わせていく。
「男でもココ感じるんだよな?」
 尋ねながらカサンドラは舌先で乳首を弄びはじめ、そしてもう片方の乳首を指でくるくると弄り始めた。女性がどれほど乳首で感じているのか、体感的に知っているわけではないから比べようがないが……少なくともよがるほど気持ち良いわけではなく、なんとなくくすぐったく心地好い感じではある。それでもカサンドラの攻めに多少身をよじってしまう事もあり、その度にクスクスと楽しげで嬉しそうな笑い声が耳に届いた。
「いいなぁ、コレ。レイリーが可愛すぎる」
「可愛いとか言うな……」
 完全に立場が逆……俺が普段していることをされているこのくすぐったい妙な気分を、カサンドラは俺以上に楽しんでいるようだ。
「もっと見ていたいけど……ダメだ、熱くて我慢できない」
 俺に愛撫しているはずのカサンドラが、まるでされているかのように息を弾ませている。それだけ俺の血が彼女に多大な「作用」を働かせているのだろう。
「こっちも味わわないと……フフ、乳首攻められてこんなにしちゃっうんだレイリーは」
 ガッチリそそり起ち固くなった俺の陰茎をシッカリと握りながら、嬉しそうに俺のを舐め始める。
「バカヤロウ……お前を抱きしめてからずっとだ」
「……バカ、こんな時までそんな言い方……ん、チュ、クチュ……」
 握っている肉棒をしごきながら、その先端を口内へと導くカサンドラ。カリを唇で擦りながらも舌は亀頭を包み、唾液を鈴口の中へ押し込もうとその舌を蠢かせる。
「クチュ、ん、へひひー、わはひほも……」
 口に含めたまま話されても何を言っているのか聞き取れないが、何を言いたいのかは伝わった。カサンドラは手も唇も舌も離さないまま身体を回し、俺の顔に自分の秘唇を押しつけてきたのだから。
「ひぅ! ん、ち、力抜けてる、のに、そん、んぁあ! ちょ、ん、負けない……ん、チュ、クチュ、クチュ、んん!」
 彼女の言う通り、脱力している俺は舌を動かすのも苦労しているが、だからといって気の抜けた「攻め」をするつもりなど無い。俺にも彼女の主としての意地と威厳があるのだから。
「い、ん! ひぁ、ん……クチュ、ベロ、チュ……ん、ふぁあ! び、びんかんに、なっ、なって、る! ん、チュ、ハァ、クチュ、ん……」
 血を吸われ脱力している分俺の肉棒は普段ほど大きくも固くもないはずだが、口内に馴染むほど俺の肉棒を何十何百と咥えてきた彼女によってシッカリと強度を保っている。しかしソレは俺も同じで、何十何百と味わってきた陰核と淫唇、そしてその奥のどこを攻めるべきかは本能に刻み込んでいる。力がなくとも舌が動けば的確に彼女を悦ばせることは出来た。しかも今の彼女は俺の血のせいで性欲がみなぎっているだけでなく全身が敏感になっているから、俺のちょっとした愛撫でも全身を痺れさせるのに充分なようだ。
「ま、まへはひ……ん、クチュ、チュパ……」
 感じているのをごまかすかのように、カサンドラは手と顔を激しく動かし始めた。そして空いていた手で俺の陰嚢を掴み、ゆっくりと優しく揉み始める
「ここもこんなひ……ん、チュク、チュ……ん、プハァ、ん、美味しいよレイリー……ほら、我慢しないで出してよ。ココにこんな貯めてないでさ……ん、チュ、チュ、チュパ……」
 激しい攻めに何時射精してもおかしくないのだが、血をたっぷり吸われた後だからか、なかなかそこにまで達しない。俺としてはたゆたうような快楽に身を委ねられて気が遠くなるほど心地好いのだが、内側から血の熱さに突き動かされているカサンドラにはじれったいのだろう。普段よりも激しく肉棒をしごき舐め続けている。
「ん、ふぁ、ん……ダメ、もう、我慢できない……」
 急に肉棒空手と唇を離し、俺に押しつけていた腰を浮かせるカサンドラ。くるりと身を起こしながら反転し、そして俺の顔から離した腰は肉棒の真上に。一度手放した肉棒をまたしっかりと握り直し、カサンドラは待ちきれないと直ぐさま腰を下ろした。
「ひぐっ! ん、はぁ……ん、ん、んぁ! ああ、い、いい、はぁあ!」
 腰を落とした直後に、カサンドラは一度身を震わせた。だが直ぐさま腰は動きだし、死体のように横たわるだけの俺の上でカサンドラは生き生きと跳ねていた。むろんそれだけではなく、彼女の中もまたギュッと俺を締め付けながら肉ヒダを蠢かしていた。淫魔の本能が血を啜った吸血鬼の本能によって活性化され、僅かな接点で深く繋がっている俺を全身で感じている。
「レイリー、レイリー、ん、レイリー、い、い、レイ、ん、ふぁ! あ、ん、ハァ、レイリー、レイリー!」
 喘ぎながら俺の名を呼び、ひたすらに腰を動かすカサンドラ。鍛えられた身体は疲れを知らぬかのように激しさを増していき、まるで心臓の鼓動に合わせるほど速く、だが大きく膣壁が肉棒を擦らせる。
「ああレイリー、ん、くっ、ん、チュ、クチュ……ん、レイリー、レイリー、い、あぁあ!」
 大きく揺さぶられていた胸が俺の身体に密着する。腰の激しさを損なわせることなく、カサンドラは身体を倒し俺を抱きしめる。そして俺の半身を起こしながら唇と舌、そして喘ぐ声で俺に愛を伝える。
「レイリー、レイリー……ああ、い、いい、レイリー、い、すご、すごい、レイリー、レイリー!」
「カサンドラ……いいぞ、おれも、きもち、いい……ぞ、カサンドラ、ああ、いいぞカサンドラ……」
 互いの名前に全ての感情を込め呼び掛け合う。相手の声で自分の名を聞く度に、胸の奥から全身に暖かみと痺れが広がっていく。むろん俺達を直接結びつけている結合部からも、ライトニングボルトにも負けない威力と速さの電撃が全身を駆けめぐる。
「そろそろ……」
「ああ、いって、わた、わたしはもう、なんどもいって、ん! は、レイリー、レイリー! あ、あい、あいしてる、レイリー、レイリー、レイリー!そ、そそいで、わた、わたしの、なか、なかに、なかに!」
「い、そっ、そそいで、やる、か、カサンドラ……あ、あいして、るぞ、カサンドラ……」
「レイリー、レイリー、あ、ま、また、ん、い、いく、いくから、レイ、レイリー!」
「くっ……ぐっ!」
「ああ! レイリー、レイリー……ああ、レイリー……」
 背骨が折れるのではと俺を慌てさせるほどに、カサンドラは俺を力強く抱きしめる。腕と膣で。そして俺は抱きしめられながらカサンドラの中へドクドクと淫魔の力を注いでいく。俺の鈴口はカサンドラの子宮口に、まるで唇を重ねるように密接し、直接子宮へと白濁液を注ぎ込んでいる。俺達が淫魔ではなく人間ならば、五つ子は出来るんじゃないかと思えるほど注ぎ込み、そしてその全てがカサンドラに吸収された。
「レイリー……レイリーが私の中に……入ってくる。レイリー……レイリー……」
 何か声を掛けてやりたいが、かける言葉が見つからない……以前に、言葉を発する気力も無い。かなりギリギリのところまで搾り取られているが、生命の危機を感じることはなかった。カサンドラを信じているし、それに万が一絞り尽くされても……それも良いかとさえ思えてしまう。
「大丈夫?」
 吸収を制御しているのは彼女だが、それでも心配なのか声を掛けてきた。俺はどうにか首を振り、無事を伝える。
「……ゴメン、あまりにも気持ち良くて美味しくて……やっぱりさ、眷属が主から力を貰うのはヤバイって。次はちゃんと自制できるか自信ないよ」
 次……か。ヤバイのはもしかしたら俺の方かもな……身体的なことではなく精神的な意味で。吸い取られることの快楽もあるが、なにより愛する眷属に「俺」を注ぐというこの感じ……満足感、優越感、そんな心地よさがたまらない。悪党どもから吸い上げた力を分け合うのとは違う、俺の力を彼女に注ぐというこの感じはヤバイくらい心地好いぞ。
「ありがとう、レイリー……あっ! ゴメン……私「ご主人様」って呼んでなかった……」
 今更……俺は苦笑いを浮かべカサンドラの謝罪を受け取った。
「いいさ……気にするな。今回は……色々と……「特別」……だからな……」
 ようやく話せるほどには回復してきた俺は、しょげるカサンドラを慰める。隻眼のカサンドラもこんな時は本当に可愛いな。
「なあ、特別ついでに……いいかな」
 眼帯がなければ完全に「乙女」に見えるだろう。そんな顔をしてカサンドラが強請る。
「試合まで……このまま抱きしめていて良いか?」
「好きにしろ。イヤと言っても聞かないだろうし、今の俺じゃ拒めん……俺もこのまましばらく……な」
 嬉しそうにカサンドラは笑うと、一度だけ唇を重ね、その後はただ俺を抱きしめながら身体を横たえた。

 セイラとアヤが俺達を呼びに来るまで、カサンドラは俺を抱きしめていた。試合が近いことを告げられると、カサンドラは俺に口づけすると腕を解き、鎧を身にまとい始めた。
「力がみなぎりすぎて……どうしようか、私観客の前でじいさんの頭を吹っ飛ばしちまいそうだよ」
 豪快に笑いながら、カサンドラは強気な勝利宣言をする。
「老人は労ってやれよ……なにせ一度死んでるんだから」
 セイラに体力を回復して貰った俺は、慈愛の心をカサンドラに呼びかけた。
「死んでたんだから吹っ飛ばしても良いか……っと、あんまりグロいのを観客に見せちゃマズイね」
 また豪快に笑いながら、カサンドラは露出度の高いご自慢の鎧を装備し終えていた。
「……じゃ、行ってくる」
「ああ……」
 それだけ言葉を交わし、カサンドラは戦地へと赴いた。もう語るべき事はつい先ほどまで語り尽くしたから、これ以上は要らない。それに語らなくとも、カサンドラの中には俺がいる……注いだ俺の力があるのだから、心配することは何もない。
 そう……ぐっと胸を締め付ける不安は、ただの疲労なのだから気にすることなど何もない。
「大丈夫ですか? 主」
「ああ、大丈夫だ……」
 アヤの肩を借りながら俺は起ち上がり、どうにか歩行できるほどまで体力を回復して貰ったことを確認する。
「手間を取らせたな、セイラ、アヤ」
「いえ……私達にはこれくらいしかできませんから」
「カサンドラの為に……ありがとうございます、主」
 眷属である二人が同胞のために礼を述べる。カサンドラの力になりたかったのは彼女達も同じだが、今後のことを考えると俺のようなやり方で力を分け与えるわけにはいかず……本来なら自分達がすべき事を主にさせてしまった後ろめたさと、そして感謝の気持ちが短い礼に込められていた。
「気にするな……それよりアヤ、守備はどうだ?」
「はい、順調です……順調なのがかえって怖いくらいです」
 闘技場に続く抜け道などの侵入経路や観客側からの狙撃など、あらゆる角度からあらゆる事を想定し万全の体制は整えたと、アヤは言う。だがあまりにもすんなりと整えられることがむしろ不安を呼ぶ。何か仕掛けられていたのを駆除できた方がむしろ安心できるが、何も発見できないのはかえってまだ何かあるのかと疑心暗鬼を生じてしまうものだ。
「出来ることをしておけば良い。後は……出方を待つしかあるまい」
 この期に及んでも、主導権はミネルバ達に握られっぱなしだ。そもそもこの武闘大会もラウルスとの試合も、あちら側が仕掛けてきた事。こちらが自主的に動いているようで、上手く誘導させられて今に至っているのだから……この闘技場占拠も奴らの計算の内なのだろうと疑って当然。つまりこちらが整えた万全の体制も、あちらの想定内なハズで……これ以上の対策を講じるなら、奴らの「上」を行かなければならない。
 問題は……何処であいつらを上回るか、だ。奴らの企みが見えてこないのにそれを上回れと言うのは無茶な話だが、しかしその無茶を押し通さなければならない。今そんなむちゃくちゃな状況でも確実にあいつらよりも上回っていると胸張って言えるのは……俺達の結束力か。カサンドラの試合も含め、眷属達の働きが奴らの計算以上になることを、俺は信じて待つしかない。どう出てこられようとも、彼女達ならやってくれる……そう信じている。
「レイリー様、そろそろ試合が……」
「そうだな……セイラ、アヤ。カサンドラには悪いが……カサンドラがやばそうなら乱入してでも助けろ」
 そうなる事をミネルバが企んでいたとしても、カサンドラの命には代えられない。観客達が何を言おうとも、構うことはないからな。淫魔や吸血鬼に世間体などを問う方がおかしいのだから。
「心得ておりますが……その必要はないでしょう」
「カサンドラは勝ちます。我々が目を光らせるべきは彼女が勝利した直後かと……」
 まったく……情け無いな。主である俺よりも彼女達の方がカサンドラの勝利を信じてるのか……いや、たぶん彼女達にしても「万が一」は想定しているはず。だがそれを俺の前で口にするはずがない……そういうことだろうな。
「……頼むぞ、お前達」
「御心のままに」
「血と精の絆にかけて」
 ペンダントを握りしめ、二人は深々と頭を下げる。そうだ、俺達の絆があれば負けることはない……この試合も、その先も。

 歓声で会場が揺れる。血に飢えた観客達が世紀の一戦を見ようと集まり、今か今かと殺し合いが始まるのを待ちこがれていた。金色の7番街……あらゆる「金(かね)」が集まる街。金で買えぬ物はココにはなく、観客達は血湧き肉躍る「狂気」を金で買いココにいるのだ。
 彼らの望む狂気の試合は、もう間もなく始まろうとしている。こなた、かつてこの闘技場で活躍した英雄……豪腕のカサンドラ。方や、イーリスの四聖将に数えられし「慈悲深き老将」ラウルス。闘技場の外では吟遊詩人が滅亡国イーリスの悲劇を歌い、物知り顔の者達がカサンドラとラウルスの関係を見てきたようにホラを吹く。山賊になっていたはずのカサンドラが英雄と呼ばれることに腹を立てる者もいれば、死んだはずのラウルスが生きていたことに涙する者もいた。全てが……真実であり偽り。ただ自分達が面白く試合を見られるように勝手なことを吹聴しているだけで、言葉に責任なんてものはない。試合の結果がどうなろうが、それを気にするのはどちらが勝つのか「賭け」をしている者達だけ。自分の金は心配しても、戦士達の命を心配する者はいない。全ては、娯楽と金で彩られている……それが闘技場だ。
 まあ、ソレを咎めるつもりは露程もない。そういうものだと、割り切っている。割り切っているからこそ、俺は観客達のことなどまったく気にもとめていない。彼らのことを「心配」する余裕なんか、俺にはないんだよ。ミネルバがこの闘技場でどんな「破滅」を行おうとしているのか神経をとがらせ探っているが、彼女の破滅行動によって観客達が巻き込まれたとしても、それに気を止めるつもりはない。まあ出来るだけのことはするが、俺にとって大事なのは試合に出るカサンドラと、俺のために準備をし配置に着いている眷属達だけだ。
 会場では両雄が揃い踏みし試合開始のドラを待っている。エリスはアリスと共に優待観客席に座り、セリーナが彼女達の護衛とベイリンチ卿を辱めるため側にいる。セイラとアヤは俺と共に選手入り口側で観戦しながら待機し、フィーネとリーネは奴隷戦士達や闘技場の従業員達を手なずけながら出番がないことを祈っている。シーラとティティはエマの指示の元、盗賊達と共にギリギリまでミネルバ達の動向を探っている最中。俺達の臨戦体勢は整った。
 胸の鼓動が速い。カサンドラの勝利を信じれば信じるほど、鼓動が速くなっているような気さえする。カサンドラの勝利は信じられても、その後何が起きるのかまで予測が付けられないのも要因か……早くこの緊迫から解放されたいと願いつつも、この先に待つことを思うとドラの音が鳴るのも怖い。だがなんにしても……時は流れる。
 ドラは鳴り響き、二人の戦士が詰め寄った。
 大歓声に包まれる中、それでも響く金属音。
 大斧が盾を打ち鳴らし、長剣が空を切り裂く。一振りごとに周囲から歓声と悲鳴が叫ばれ、一刻ごとに固唾をのむ。激しくも落ち着いた、重厚な試合展開になっている。
 カサンドラはご自慢のバトルアックスを大きく振り、相手を盾と鎧ごと打ち砕こうと力がこもっている。対してラウルスは正統なパラディンの装備に習ったフルプレートとタワーシールドで身を固め、装飾の施されたロングソードを装甲の薄い部分へ的確に切り込もうと狙っている。どちらも決定打に欠け、ダメージらしいダメージを与えられないまま試合は続いている。
 見た目だけでは、双方互角。激しい試合だが血しぶき一つ上がらないため盛り上がりには欠けていた。不満を漏らし始める者もいたが、目の肥えた常連客はこの試合がいかに高レベルなのかを語り初め悦に浸っている。だが……結局は素人。この戦い、その「本質」までは見破れないようだ。
「……明らかにデスナイトですね、このオーラは」
「そのようね……死と悪のオーラを直に浴びながら怯まないとは、流石カサンドラ……」
 セイラとアヤが、敵の正体に気付いた。デスナイトだと? 確か死者から生み出されるアンデッドモンスター……その名の通り死を司る騎士で、生前の能力だけでなくアンデッドとしての能力も兼ね備えた恐るべき邪神の先兵……鎧のせいで見えないが、中の身体は骨に腐った肉がこびり付いているような、腐敗の進んだ姿になっているはず。そうか、前にアヤ達が言っていた「死臭」とはデスナイトの腐った身体から漏れ出していた匂いだったのだろう。
 デスナイトは邪悪なオーラを身にまとい、そのオーラに当てられると人は恐怖に怯えてしまうと言うが……どうやら観客には気付かれぬよう、そのオーラは抑えているようだ。しかし遠くにいる俺達にはそのオーラを感じることが出来るのだから、完全に押さえ込んでいるわけではない。そしてそれをあんな間近で浴びながらもカサンドラは平然と大斧を振るっているのか。俺が力を分け与えているからなのか、いや彼女は元からハートの強い女性だからな、自前の力だけでも打ち勝てていただろう。
 元パラディンのデスナイト。加えて疑似インスパイアドの異能力をも持ち合わせた難敵……そんな死せる騎士と互角の勝負を繰り広げているカサンドラだが、このままでは勝機が見えてこない。なにか、なにか試合の流れを変える一打でもないものか……
『やるおるな……ミネルバ嬢ちゃんが可愛がっていただけはあるわい』
 この声は? カサンドラのペンダントを通じて聞こえているのか……ということは、ラウルスか?
『ケッ、墓場から出て来て言いたいのはそんなことかい? もうリタイアしんだから、大人しく土に帰りやがれ!』
 刃だけでなく言葉をもぶつけ合う両者。だが試合は動かない……激しい撃ち合いがひたすら続いている。このまま体力だけを消費していくのか? そうなれば……疲れを知らないアンデッドに有利。何か、何か打開策はないのか……。
 ガツ
 小さいながら、鈍い音がした。歓声にも負けない甲高い金属音とは明らかに異質な音。何の音だ?
 鈍い音は徐々にその音を大きくする。そして甲高い金属音がなりを潜めていく……これは?
『……貴様はドワーフか。それともハーフオークだったか?』
『こんな美人捕まえて何ほざきやがる、死に損ないが』
『……馬鹿力が』
 異質な音に当事者達は気付いているようだが……何が起きている?
 起きていた変化は、突如として俺達の目でも確認することが出来た。
 獅子を象った立派なタワーシールドが、鈍い音と共に折れた。何度も何度も打ち付けられた大斧の刃とそこに込められた豪腕の力に、耐えきれなかったか……こんな事が起きるとは。観客達に負けないほど、俺も思わず驚愕の声を上げてしまった。普通なら先に斧の柄が折れたり刃がこぼれたりするものだが……名匠フレアの鍛えた魔具は、聖騎士の持つ飾られた盾よりも遥に頑丈だったということか。
 流れを変える一撃……に見えるだろう。だが実際には何度も打ち続けた事による結果。カサンドラがコレを狙っていたのかどうかは判らないが、猛攻をかいくぐり大斧を振り続けた結果なのは間違いない。確実なのは、これでカサンドラ優位に試合は流れる……そのはずなのだが……。
『さて、次はその安い鎧だよ……それとも直接首を刎ねてやろうか?』
 盾を粉砕された死の騎士が間を開け少し退く。だが……兜のデザインがそう見せるのか、見えないはずの顔が笑っているように見える。少なくとも慌てた様子はなくまだ余裕すら伺えた。
『老人は労らんか……二度も死ぬのは勘弁して欲しいのぉ』
 小馬鹿にした口調。間違いなく相手はまだ何かを狙っている……普通なら負け惜しみにも聞こえるが、相手が相手なだけに……デスナイトは何を企んでやがる?
『茶番はこれまでじゃ……さて、そろそろ嬢ちゃんの準備も整ったじゃろうて』
 嬢ちゃん……ミネルバのことか!?
 何をする気だ……いや、もう「奴ら」は始めていた。
 いつの間にか、歓声が悲鳴に変わっている。観客席が慌ただしい……ぐ、これはまさか……
「これは……デスナイトがオーラを開放しています!」
「主、このままでは……」
 抑えていた死と悪のオーラを、デスナイトが放出している。そのオーラに当てられた観客達がパニックを起こし始めた。
 慌てて逃げる者、硬直して動けなくなる者、悲鳴を上げ泡をふく者……突然の阿鼻叫喚に観客席が包まれている。
「くっ、こうなると試合所じゃないな……仕方ない、ヤツを止めるぞ。フィーネ、リーネ、聞こえているな? すぐに奴隷戦士達を……」
『レイリー様、大変です!』
 フィーネ達への通信に割り込むよう、エマの声が突然届く。
『突然闘技場の周囲に「穴」が開き……ああ、中から戦士らしき男達が出て来ました……闘技場を取り囲むつもりのようです』
 なんだと? 今闘技場はパニックに陥った観客達が外へ逃げようともがいている。まさかその観客達を逃がさないつもりか?
「レイリー様!」
「……なんということを」
 今度は俺の思考をセイラとアヤの声が中断させる。そして俺は声に導かれるまま会場に目を向けた。
 そこに見えたのは、更なる地獄だった。
 デスナイトの後方に黒い穴。そこから幾人もの戦士と、そして悪魔達……更にその後ろからは、四つ腕の悪魔、ゲルガーの姿も確認できる。そして……
「……ミネルバめ」
 漆黒の鎧に身を包んだブラックガード、ミネルバが悠々とその姿を俺達の前にさらしていた。

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